伝達媒体としての本、もしくはテキスト情報の伝達形式がその内容に及ぼす影響
古いお話は古い文章で綴られるべきだと思う。
小さい「っ」を「つ」で代用して「ぼくもそう思つているよ」というような具合に。
「失礼だけど、あんたはあまりりこうじゃないね」
「ぼくもそう思つているよ」
「まだ、気が変つたと言つてもいいんだ」
「気は変らない。君が市の監獄からぼくを家に送つてくれた晩を覚えているか。
さよならを言う友だちがあつたと言ったね。ぼくはまだほんとのさよならを言つてない。
君がこのコピーを新聞に出してくれれば、それがさよならになるんだ。
ずいぶんおそくなつたがね」
――レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
そういう文章を載せるには、本自体も古いにこしたことはない。
わら半紙みたいに変色してカサカサに乾いた紙の、奥付けが昭和20年だか30年だかのペーパーバックなんか最高だ。
テキストだけが本じゃない。紙とインクだって、本を構成する一部なのだ。
それにデータ形式じゃあ遠子先輩が食べられないじゃないですか。