ベアルファレス追記(2005年3月30日)



どうも違う気がする。理由付けはそれなりにされていた。
自分は早く遺跡でトラップ使って遊びたいと思ってた矢先に、
ゲーム内で主人公が遺跡に潜る事を求められてた。
その一致が面白かったのだろうか。


プレイヤーの動機と主人公の動機の一致。これは大事だと思う。
感情移入度が高くなれば物語を楽しみやすくなる。
ドラクエ5でジャミとゴンズの攻撃に耐えるパパスを見たプレイヤーは
程度の差こそあれ悔しいと思っただろうし。あんな雑魚、パパスなら勝てるはずなのに。


あとガンパレはネット上の展開も含めて、プレイヤーをゲーム内に引きずり込もうと
してたような。芝村裕吏が本気で第七世界にいると信じてた人は
自分含めて何人いるのだろう。
矢上氏が世界の謎掲示板で名前欄間違ってた時点で気付けよ当時の自分。


感情移入には無口無個性型の主人公が適していると思う。
ときメモの主人公と同じ。主人公への自己投影が目的だからキャラ性は余計。
もしベアルファレスの主人公が最初から名前ついてて遺跡に潜る目的も
きちんと持ってたら、遺跡に潜る直前に感じたあの面白さは無かった気がする。


ああそうか、自分はあの世界で遺跡に潜りたかったのか。
それができたから面白いと思ったのか。