ゲームノベライズにおける無口主人公の扱い



「プレイヤー=自分」のゲームでは特に違和感の無い無口主人公だが、本来あそこまでの無口ぶりは不自然なので
客観視に晒される小説のキャラとするには一工夫が必要になる。ではその実例を見てみよう。

グローランサー〈4〉Wayfarer of the time (電撃文庫)

グローランサー〈4〉Wayfarer of the time (電撃文庫)



知る人ぞ知るこの名作ノベライズは仲間キャラの一人であるヴァレリーを中心に綴られており、
主人公は全編通して「あんま喋らないけど強くて頼れる人」扱いである。それは決してハブ扱いという訳ではなく
パーティ内でも常に確固とした存在感を持っているし、時折洩らす言葉の端々からはプレイヤーの分身のままでは決して有り得ない
血の通った寡黙な一人の人間としての人格がはっきりと伺える。ゲーム内ではただの設定・背景だったが冷静に考えると割と救えない生い立ちを
実際に経てきていたらこうなるであろうキャラクター。ヴァレリーの視点を通して、我々はかつて主人公だった彼を二重に客観視する。


彼はこれを見てよしとされた。





その表紙には、何かとても大切なものが欠けている。ような気がする。
中心にいるのは南条君である。この面子の中では彼がリーダーになるのがなるほど自然な形である。
サブタイ通り中身は雪の女王編なので本編ヒロインの園村麻希は入院したままである。
自然、彼女が好意を寄せていた彼の存在意義も当事者性も大きく低下する。冒頭のペルソナ様遊びの時に
彼がいなかった事に気付いた私はそういう事かと大いに笑ったものだ。ゲーム内で共に闘った仲間の誰も彼の不在に気付かない。
物語は彼がいなくとも違和感無く進行する。小説はプレイヤーがいなくとも成立する。


あ、内容は藤原健市ファンなら買えばいいと思います。