信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス:宇月原晴明 新潮文庫



荒山徹が朝鮮+柳生ならこの人は西洋+和漢書
舞台は1930年のベルリンと戦国時代の日本。
近代パートでは研究者2人が信長について在ること無いこと京極チックに語り合う内容を真に受けたナチスドイツが暗躍し、
戦国パートでは桶狭間→長篠→本能寺という日本人なら誰でも知ってるストーリーを「裏ではこういう事があったんだよ」と
伝奇小説風に虚実入り混ぜて描写しています。


何というか、史実が一つの物語として再構成されたような気分です。
信長のジェノサイドやらキリシタン贔屓やら秀吉が草鞋を懐に入れたエピソードやら光秀の本能寺焼き討ちやら、
全てが話の流れとして起こるべくして起こってるんですよ。史実を元にしたんだから当然なんですけど
この「ああ、そうだったのか」感は得難い感覚だと思いました。よくよく考えるとあからさまな嘘なのに
いちおう筋は通っているしずっと真顔で喋ってるからついつい信じてしまう、という感じ。
今から嘘書くからね、ここは嘘なんだろうな、と作者と読者のコンセンサスが成立している荒山小説と、似ているようで決定的な違いかと。


戦国パートの文章がまた格好良いのですよ。

千五百八十一年九月、信長は四万の軍を集め、伊賀の国を焦土に変えた。伊賀は小国であり、
敵対勢力も数千にしかすぎなかったが、しかし、ここは魔術師達の国であった。信長ですら
死の前年になるまで手がつけられなかったことを考えても、彼らの力がよくわかる。
服部、百地をはじめ十二人の熟達者(アデプト)が統治するこの国の者達はすべて、
日本のアサシンであった。侵入し、破壊し、暗殺する。

忍者にアデプトですよアデプト。というか忍者を魔術師的に形容しているだけで
心躍ってしまうのは何故なのでしょうか。発想の転換以上の何かがある気がするのです。