.hack//G.U. Vol.2 境界のMMO:浜崎達也 角川スニーカー文庫



あの作品をゲームじゃなく小説で出すとしたらこんな形であっただろう、
まさにもうひとつの「.hack//G.U.


単体のライトノベルとしては贔屓目に見て良作程度。
ただし.hackファンを楽しませるためのアイテムとしては極上に近い。


ゲームと違う箇所。
プレイヤーの不在。ゲームシステムの不在。
この2つはゲームをゲームとして成り立たせるための中核であり、同時にシナリオを縛る枷でもある。


例えば原作ではリアルの描写がなく、プレイヤーはThe Worldとデスクトップとニュース番組と掲示板しか見る事ができなかった。
それは現実パートを描写する容量の都合であったり、そもそもリアル世界で動けてもゲームとしては面白くないという
システム面の都合であるが、小説にはそんな制限は無いので、ハセヲがリアルでパイと面会したりもする。


プレイ時間やボリュームの問題。メディアミックスの期間を長くするためにゲームは3作に分けて発売された。
その分、話の本筋とは関係のないイベントも少なからずあった。もちろんアリーナチャンピオンとのガチバトルなど、
ゲームとしてはそれがあった方が面白い、というイベントだってあったけど、小説にゲーム的な面白さは関係ない。
だからエン様以降のアリーナや大火との修行は全面カットされて、その分原作では空気気味だったクーンの内面描写が増量されている。
R:1時代、ジークとしてバルムンクに憧れていたけど、活躍どころか意識不明者として被害者で脇役にしかなれなかった。
だからこそますます誰かを助けるヒーローになりたいという欲求が強くなり、AIDAの脅威から人を救う事にこだわっている。
そのこだわりから、小説版ではオーヴァンにまで目をつけられる事になる。Vol.1以降空気だった原作とは大違い。


ハセヲをゲームの楽しさに目覚めさせる役は望が担当。シラバスとガスパーの出番は省略。
紙面の節約と、碑文使いである望とハセヲとの関わりを増やすため。
余ったページでがび様の出番がやや増量。次回予告にあったのに省かれた「AIDAの観察室」の台詞もバッチリ入ってて、
あと朔がエン様を氷漬けにして幽閉したくだりの話もよりわかりやすくなってる。


エン様がハセヲLOVEじゃない。まあそっちのが自然だし。
CC社がミア破壊したのを知って八咫に食って掛かったりする。八咫にエルクと呼ばれたりもする。


「八咫はシステムいじれるんだから全員レベルMAXにすればいいじゃん」
当然の疑問だが、ゲームでそれをやるとキャラを育てる楽しみがなくなってしまう。
だが小説にはレベル上げの必要もない。だからG.U.メンバー全員にデバッグコマンドが配布され、
ハセヲが一瞬でレベル133の3rdフォームに復帰する。ジョブエクステンドのイベントも省略。


原作ではプレイヤーがハセヲを操っていた。イコールに近い関係だったと言える。
だからハセヲをあんまりダメ人間として描くことができなかった。ゲームのハセヲは廃人生活と学生生活を両立している完璧超人だった。
小説ではプレイヤーに遠慮する必要は無い。8ヶ月の廃人生活のせいで成績ガタ落ちで友達も失いかけている。話としてはそっちの方がリアル。


小説にはプレイヤーがいない。だから話の謎の中核に関わる番匠屋ファイルはハセヲが読む。
そうして前作のエピソードをハセヲ自身が知る。ミアの話からエンデュランス=エルクだと推測したりもする。


主人公はハセヲ1人であり、小説はプレイヤーによる介入の無い、ゲームシステムに縛られることもない、
ありのままの.hack//G.U.という物語を描いている。いやまあプレイヤーにとってはゲームの.hackこそがありのままの.hackなんだけど、
ゲーム版を面白いと思えたのならこっちにも手を出してみるとより楽しめるかもしれないよと言ってみる。
さんざん「ゲーム版はシナリオに枷をかけられている」みたいな事を言った後でアレなんだけど、これって単体で成立する作品じゃなくて
あくまでゲームをプレイした人間をとことん楽しませるための、原作と不可分な存在だし。そしておそらくはG.U.シリーズ最後のメディアミックス。
.hackというプロジェクトが元から相互補完を重視していたことを考えると、出るべくして出た作品といえるんじゃないかな。